時は幕末。毛利の長門守貞広は、西洋の知見を得るため、井上聞多、野村矢吉、山尾要蔵、遠藤謹介の4人をイギリスに派遣。伊藤俊輔(後の伊藤博文)を加え、英国貨物船・キロセッキ号に潜り込み、横浜から出港するが。